量子力学の奇妙なところについての読書メモ(1)
「量子力学の奇妙なところが思ったほど奇妙でないわけ」という本の読書メモです。全体の七割ほど読み進んだけど、量子力学が奇妙にしか思えない内容です。これから終盤で奇妙でなくなっていくんだろうか。
不確定性原理
電子には磁気的な軸がある。
電子を飛ばし、上下向きの磁場の中を通過させると、おそらくでたらめな方向を向いているはずの電子たちは上から下までいろんな角度に曲がるはずだ。そんな実験をシュテルンくんとゲルラハさんがやってみたが、結果は予想と違った。
電子が曲がる方向は「上」に行くか「下」に行くかの二通りで、その確率は50%ずつだった。磁場を上下、左右、斜めのどんな向きに設置しても、ビームは必ず二通りに分かれる。要するに初めから偏っているわけではないのに、観測すれば二つの値しか取らない。「観測するまでは電子の磁気的方向は不定」だという、不確定性原理のひとつの例である。
正真正銘の「五分五分」
たとえばコイントスで表と裏が出る確率が「五分五分」と言った場合、それは無知を補うものであり、素材や環境、投げ上げの動作などについてのデータが揃えば五分五分ではなくなる。ところが電子が上に行くのと下に行くのが「五分五分」と言った場合、そもそもそれ以上のデータを得ることは不可能らしい。これに対して反発したアインシュタインが言った言葉が、「神はサイコロを振らない」だった。
光が粒子であること
話は変わって、光を照射された金属が電子を放出することを光電効果という。例えばアルミニウムなどを強い紫外線で叩けば電子がポンポンと飛び出すのだが、これまでの理論では説明のつかない性質があった。
・光の強度(振幅)を上げると、飛び出す電子(光電子)の数は増えるがエネルギーは上がらない。
・光の振動数を上げると、光電子のエネルギーは上がるが数は増えない。
古典物理学の波動理論によれば、波のエネルギーは振幅と振動数の積に比例するから、強度を上げれば光電子のエネルギーも上がって然るべきだが、そうはなっていない。
そこでアインシュタインが言った。「光線ってのは光子のビームだ」
光の強度とは光子の数であり、振幅とはひとつひとつの光子のエネルギーだという主張である。そうすると、つまり叩きつける光子の数を増やせば出てくる光電子も増えるのは自然だ。また、光子のエネルギーを上げれば出てくる光電子のエネルギーも上がるだろう。
不可解な現象をなんとも美しく説明してしまったアインシュタインは、この功績でノーベル賞を受賞している。
光が粒子であることのもう一つの理由
ある箱の中がある温度を保っている状態を考える。エネルギーが粒子の運動だけであれば、エネルギー量を粒子の数で割るだけでそれぞれが担う量がわかる。さて、電磁波もエネルギーを運んでいるらしい。ある箱の中に存在しうる波長は無限にあるが、エネルギー量は有限だ。これはいかなる数式で表されるべきか?
そこで登場するのがエネルギーの基本単位としての光子だ。プランクさんは、それぞれの波長の波が持てるエネルギーはこの単位の倍数でなければいけないと考えた。こうして量子化することで、総エネルギー量を越えてしまうほど波長が短く振動数の大きい波は登場しないことになり、問題はすっきりと解決する。
ほかにも、光をある結晶に反射させてエネルギーの変化を見るコンプトンの実験でも粒子性が現れる。
光が波であること
光は波でもあるという。どんなところが波か?それはヤングの二重スリット実験で示される。
ヤングは、一つの光源から出る光を、二つのスリットを通してフィルムに当てた。光が粒子ならば、スリットを通って二本の光線がフィルムに届き、二つの明るい点を作るはずだ。ところが実際にフィルムに現れたのは縞々の干渉模様だった。
しかも不思議なことに、光子を出すペースを抑えて、確実に一つずつフィルムに届くように実験をやり直しても、やはり干渉模様ができてしまう。この過程をゆっくり見守っていると、さいしょはぽつぽつと斑点ができるのだが、やがて縞々が完成するのだ。どうやら光子が行き着きやすいところと行き着きにくい所は確率的に決まっているらしい。このような確率のパターンを波動関数とよぶ。
観測するということ
量子力学においては観測するということ自体に観測結果が依存する。二つ例を挙げる。
シュテルン・ゲルラハの磁石では、観測することで電子があるスピンを現出した。最初には書かなかったが、上下の磁場でスピンを見た後、上に曲がったものだけを左右の磁場に通すとする。もちろん、結果は左右50%ずつだ。ここで、左に曲がったものだけをさらにもう一度上下の磁場に通す。結果は?なんと、またしても上下50%ずつになってしまう。これは左右のスピンを観測するという行為自体が観測対象の電子に影響を与えたからだとされる。
二重スリット実験では、それぞれの光子がどこを通ったのか観測しようと思えば可能だが、それをすることによって干渉模様は現れなくなる。光子を観測するという行為自体が実験全体に影響を及ぼすからだ。つまり粒子性を観測すれば波動性は消え、波動性を観測しようとすれば粒子性は消える。
観測する前の状態は不定であり、それについて考えることは無意味らしい。なぜなら観測なくして観測結果はありえず、観測するならば結果は観測自体によって決まるからである。
つづきます。
量子力学の量子力学の奇妙なところについての読書メモ(2)
量子力学の量子力学の奇妙なところについての読書メモ(3)
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ひさしぶりに「このブログについて」のページを見たらまだ三回生だなんて書いてあった。でもWordpressがバグっててなぜか編集できない。自分で書いたのに「許可がありません」と言われて消せない下書きもあるし。どないやねんな。